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鬼デスク上司と打ち解けた切っ掛け

私は車の免許を持っていないので、もっぱら誰かに乗せてもらってばかりです。今回は、独身時代に仕事で上司の車に乗せてもらった時のお話です。

当時の私は25才で、関西にある地方新聞社に勤めていました。ある日、当時の上司と町長とのインタビュー記事の同行取材をすることになり、奈良県の郡部の町に上司の車に同乗させてもらい出かけました。

実はその上司は私の苦手なタイプ。見た目も、角刈りの頭髪には剃り込みが入っていて恐持てなのですが、加えて原稿ひとつ出す時も「バカもん!  こんなんで書いたつもりか? すぐ書き直せ!」「書き直して、こんな程度か?」と、とても厳しく歴代の方々からも「鬼デスク」とのあだ名がついていたくらい。しかも目的地までは地道しかなく、奈良市内からでも片道40分はかかるところです。乗る前から、どうしようと困っていました。

しばらくは沈黙が続いたのですが、その上司が「ラジオでも付けようか?」と言われました。けれど助手席の私は緊張していて「あっ、はい…」と答えるので精いっぱい。その後も上司との会話はなく、たわいもないおしゃべりがダラダラ続いていく、大阪のAMラジオ番組の担当者のテンション高い音声だけが、車内をむなしく満たしていきました。

それから、どれだけの時間が経ったのでしょうか。ラジオから「それではリクエストにお応えして、広瀬香美さんの曲をお送りしましょう。『ロマンスの神様』です!」の声に耳が止まりました。当時はミリオンセラーを記録するほどの大ヒット曲。もちろんこの曲も、スキー店のCMソングでした。

曲が流れている間も、終始沈黙。私は歌いたい気持ちをぐっと堪えて、固まった状態でようやく聞き終わりました。そして、しばらく間があって上司がひとこと口にされました。「…なかなか、よく出来ている歌だな」と。ちなみに普段は演歌しか聞かれないので、初めて聞かれたそうです。

そこからは、上司が溜めていたものを吐き出すような勢いで、歌詞の分析と解説を始められたのです。「週休2日  しかもフレックス」には「若いのに、世相を巧みに盛り込んでいる」とか「幸せになれるものならば  友情より愛情」には「ははは…。女は恐いな~」とか。ここで一気に場が和み、会話が弾んだことはもちろんですが、恐持てだけではない上司の一面を知ることができました。私からも「ロマンスの神様、どうもありがとう」です。

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懐かしのドライブ同好会

毎日時間とお金を持て余していた大学生時代、私はアルバイトの仲間8人(男4人、女4人)とドライブ同好会なるものを結成し、度々ドライブに出かけました。

地元が神戸近郊の私たちが良くドライブに行った先は、淡路島1周、丹後半島の海岸沿い、紀伊半島の海岸沿いなどです。

とにかくいつも無計画なドライブでしたので、道中は適当、おもしろそうなスポットがあれば立ち寄り、日帰りが困難になった場合は行き当たりばったりで宿を探したりしました。

ドライブにはいつも車2台で出かけました。携帯電話など普及していない時代でしたが、できるだけ2台で連なって走り、お互いの車内での会話が聞こえるようにラジオの周波数を合わせてみんなで会話を楽しんだりしました。

淡路島のドライブで楽しかったことは、良さそうは海岸や岩場を見つけると、魚釣りをし、釣れた魚を火であぶって食べたりしたことです。また島へ渡るフェリーでは、当時付き合っていた女の子とグループを離れ甲板に上がり、二人で景色を眺めている所を見つかり冷やかされたりしました。

丹後半島へ向かう時には、出石そばの店に立ち寄り食べた皿の数を競ったり、城崎温泉街でお土産を買ったりしました。半島内では、「伊根の舟屋」などの素晴らしい文化や歴史にも触れることができました。宮津方面では当然、定番の天橋立の股のぞきも体験しました。

紀伊半島のドライブでは、日帰りは難しくいつも一泊していました。右回りで行ったときは三重県の勝浦で、左回りの時は和歌山県の白浜周辺で宿を探し宿泊しました。この方面では、名勝を巡ったり、いろんな温泉に浸かったりしました。

若かった私たち男連中は、温泉では必死でのぞき穴を探しました。不思議なことに和歌山方面の温泉は、そのあたりの対策はしっかりしていてガードが堅かったのですが、三重県の方ではあまりその対策がとられておらず、かなりの確率で女風呂を覗くことに成功しました。私は、彼女だけにはあらかじめ気を付けるように言っていました。

本当に楽しいドライブの思い出ばかりの学生時代でした。しかしそのころの先輩や友人、彼女とは、阪神淡路大震災でみんなちりじりになってしまいました。今は誰一人連絡先もわかりません。

しかし、あれから20年、そんな無計画なドライブが好きな私は、今は大事な家族を連れてドライブに出かけます。

行き先は、もちろん学生時代に回ったコースがほとんどです。家族は初めての景色を楽しんでくれていますが、私ひとり懐かしさに浸っています。

そして妻と二人の子供は、私が道やおもしろいスポットにとても詳しいことを不思議がっています。あのころの仲間も、お父さんやお母さんになって、同じように愛する家族とドライブに出かけていたらいいな、と心から思います。そして、偶然どこかで彼らに会えることをほんの少しだけ楽しみにしています。

ただ私も40を過ぎましたので、今は温泉に入っても、もうのぞき穴を探すことはありません。

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運転に向いていないのかな

私が今でも印象に残っているドライブについて書きたいと思います。

私が自動車の運転免許をとったのは、かなり前のことですが、とってすぐに、友人2人とドライブに行きました。

はっきり言って、私が運転免許をとったのは、地方の合宿所でしたので、自分が住んでいた都市部で車を走らせるのは、とても不安がありました。

しかし、友人とのドライブは楽しそうだし、とにかく友人がとても行きたがっていたので、私が運転手となって行きました。

まず行った先は、カラオケです。無事に普通に到着できたのでほっとしました。私は、運転しながらも結構ぼーっとする癖が出てしまって、後ろの車に煽られているのにも気が付かない方なので、無事に到着できただけでも満足でした。

問題はその後でした。私は、信号をきちんと見ているつもりが見ていないことが多くて、一番驚いたのは、前の信号が赤で、横の信号が青だった時に、横の信号を見ていて渡ってしまったことでした。

その時、私は結構運転に問題があるなと思っていました。それに、地図を見ていても、道路を走っているうちに、自分が思い描いていた方とは違う方に進んでいることが多いのです。気付くと全く違う所にいたり、ということも多かったです。

それが、その友人とのドライブの時にも、出てしまいました。私が高速道路を走ったことがあるのは、その合宿所での練習の一度きりです。ドライブの帰り道に、なぜか私は、気が付くと高速道路に乗ろうとしていたのです。

オロオロする私、助手席にいる友人に助けを求めようと隣を見ると、友人はとても楽しそうに喜んでいました。「もう、ダメだ..」免許を取りたての友人が高速道路で事故を起こしたことがフラッシュバックしました。

しかし、結局Uターンできて事なきを得ました。本当にドキドキするドライブでした。友人を乗せてのドライブはもっとさんざん自分で練習してからだな、とその時痛感しました。

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最大の御法度

初めてドライブらしいドライブをしたのは18歳の頃でした。
免許を取得してからまだ半年しか経っていない彼の隣に座り、
ただ窓の外を眺めるだけのもの。
それでも付き合いたての私達にとって、
かけがえのない思い出の1ページです。

当時、大学受験に失敗した私は
ひどく落ち込んでいました。
気を抜くとすぐ涙をぼろぼろと流していたので
周りの人はすごく対応に困ったと思います。

そんな折、彼が「ドライブに行こう」
と誘ってくれたのでした。
車を運転するのは大人だけだと思っていたので、
彼氏とはいえ同い年の人の車に乗るのはとても不安でした。

もしも事故が起きてしまったら…
そんな事ばかり考えてしまい、
なかなか返事が出来ません。
それでも、彼なりに私を励ましてくれようとしているのだからと、
意を決してOKを出しました。

そしていよいよドライブの日。
慣れないシートの香りや助手席の景色にそわそわしっぱなしで、
そんな私を見て彼は可笑しそうに笑っていました。

なんだか気恥ずかしくなって、
そこからはあまり覚えてません。
彼が懸命に建物や町並みを
説明をしてくれてたような気がしますが、
申し訳ないことに右から左へと流れていってしまいます。

最後に夜景を見せてくれましたが、
時間が時間なだけあって、
ついに私は眠りの世界へと誘われました。
「家まで送るから寝てていいよ」
という言葉を素直に受け取ってしまったのです。

後に「彼が運転している横で眠る」というのは、
最大の御法度だということを知る事になる訳ですが…。